メリューの考察
結局お久しぶりになってしまいました。
tomopiyoです(^ω^ )
投稿は遅くなりましたが、活動は出来る日には毎日していました。
…曲の難易度が高かったんです。
曲の内容的にバラード調と思いきや、比較的テンポは速い
でも声を張って歌うのは違う部分が多々ある。
つまり声を張らずに寂しい感じの声をテンポよくキー高めで出す。
という珍しいパターンが出現し、歌い直しが尋常じゃなかった。
そしてメロとサビの音量差に苦しめられ、いつもとは違った歌入れ&MIX方法を確立する必要があった。
でも大変だった分学びは多かったし、そもそも歌を練習しなきゃと改めて思いました。
カラオケでこの曲歌ったら酷いクオリティになるだろうと思ってますw
そしてDAWが落ちまくるので作業の効率が非常に悪く、拘ったものを作るのにはPCの環境も整えていく必要があります。
効率化には程遠い。まだまだ投稿ペースは上がらないかも。
でも毎回小さな進歩を継続していこうと思っていますので応援宜しくお願いします!
さて、本家の投稿後に沢山の人がこの曲の考察をブログなどで投稿していました。
音楽の解釈は人それぞれで、歩んできた人生で読み取り方が異なるという面白さがあると思っています。
なので、他の解釈をディスるつもりは全くありませんが
私は「主人公は最後に死んだ」という説を否定したいです。
「死にたい」という言葉は生きにくさを感じた時の「生きたい」という感情から発せられる言葉だと思っているからです。
私もこれまでの人生の中で何度も「死にたい」と思ってきた。
後になって気付いたらその時の自分は「生きたかった」んです。
この曲の主人公は
「どうしようもなかった」と言い聞かせながらも大切な人の死を受容できず。
死んでしまった方が楽なのかも知れないと思った。
曲の中でも主人公がどんどん死に近づく描写は沢山あります。
でもこの曲の最後で「君」は「笑った」んです。
しかも「遠く笑った」なんです。
私が死んだ側だったら大切な人の人生が自分のせいで終わってしまう事を嬉しく思えないんですよね。
だから自分ならそういう気持ちでは笑わないと思う。
個人的な解釈では
「今までありがとう。まだ君の人生は続くから遠い所から見守ってるよ。そして辛いかも知れないけど、幸せな人生を生きてね。いつかどうせ来る死を迎えた時に、笑って再会しようね。」
そういう「笑った」なんじゃないかと思ってます。
そして最後の歌詞が終わった時に
「じゃーーーーーん!!」
って音で終わりますよねw(分からない方は曲の最後聞いてくださいw3:30頃です。)
もし最後主人公が命を絶つ内容なら、自分が作曲者だとすると
「じゃーーーーーん!!」
じゃなくてもっと絶望を感じる終わり方にすると思いますw
よって、「君」が笑った理由を私の解釈のように受け止めて
前を向いて歩いていくイメージを最後の音に籠めたのではないかと思います。
そういうイメージで歌入れとMIXをしたので、最後は絶望よりも希望のイメージで作りました。
一生懸命作りましたので、楽しんで頂けると幸いです。
ではまた動画で会いましょう!
...tomopiyo(^ω^)